平成17年、創立80周年記念誌、小島校長挨拶「地域の誇りである学校を引き継いで」より


「明治40年代、この地は度重なる大洪水に見舞われました。そのため十年余りの歳月をかけて荒川放水路が造られ、千住新橋もできました。この地域の子供たちは、この橋を渡り、旧千寿第三小学校に通っていましたが、風雨の強い日は橋の上で傘が飛ばされ、ずぶ濡れになったそうです。ここで”堤北にも学校を”との願いが高まり、地域の方々が役場に掛け合い、土地を探し、開校させてくれたのです。幾多の困難にもめげず、ようやく大正十四年に教室4、児童数165名で千住町立千寿第五尋常小学校として開校になりました。」(平成17年、創立80周年記念誌、小島校長挨拶「地域の誇りである学校を引き継いで」より)

地域の方々の子供たちへの思いが千五をつくり、統廃合の危機に対しても、地域の方々の反対が千五を守る大きな力となっています。
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地域と学校と保護者で長い時間をかけてつくりあげてきた私達の千五。一人ひとりの子供を、先生方、地域の皆さん、そして保護者が一体となって暖かく見守りながら、育ててきました。これだけの時間をかけて関係者の熱意を積み重ねてつくりあげた環境は、もう二度と同じものはつくれません。未来の子供たちのために必ず千五を守りましょう。そして、地域コミュニティーの要、地域の防災拠点の千五を必ず守りましょう。

2012年6月23日土曜日

千五守ろうNews_No.73

千五関係者の皆様
▼やなぎの木移植大失敗
本日やなぎの木の移植作業が行われました。先ず、やなぎの木の根の周りを掘りました。木が倒れるのを防ぐためクレーンで上に引っ張りながら、根の周りを掘り、それと並行して、移植を予定していた体育館前を掘ったところ水道管が破裂。水浸しになったため、体育館前への移植を断念。次に校長室前への移植を試み穴を掘りましたが、やなぎの木を引っ張っていたクレーンが届かないことが判明し、校長室前への移植も断念。結局、やなぎの木は90度向きを変え、校舎の真ん中方向に90cm程度動かしたところで作業終了。(木の枝が少し伐採されただけで、見た目、殆ど変りません)
足立区教育委員会に、経緯の説明を求めましたが、根の状態が想像以上に悪いため、今回の位置へ移植するにとどめた、との説明でした。それでは何故、体育館前と校長室前に穴を掘ったのか、との問いに対し、残念ながら明確な回答を頂くことは出来ませんでした。保護者より直接樹木医に質問したところ「体育館前の水道管破裂は想定外。」とのことでしたが、教育委員会はその事実を認めませんでした。
・・・今回の統合計画の杜撰さを象徴するかのやなぎの木移植大失敗でした。
http://sengosengo.blogspot.jp/

3 件のコメント:

  1. 昨日の移植場所移動の件ですが、私の撮影時間を見たところ…
    15:17 ランチルーム前水浸し
    15:46 校長室前作業開始
    16:18 やなぎ吊り上げ開始
    ですから、明らかに柳を吊り上げる前に場所を変更したわけで、昨日の教育委員会の説明とは食い違っています。

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  2. 教育委員会のうそつき!

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  3. 以下のページも見てね
    http://inoko.dip.jp/project_a/

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