平成17年、創立80周年記念誌、小島校長挨拶「地域の誇りである学校を引き継いで」より


「明治40年代、この地は度重なる大洪水に見舞われました。そのため十年余りの歳月をかけて荒川放水路が造られ、千住新橋もできました。この地域の子供たちは、この橋を渡り、旧千寿第三小学校に通っていましたが、風雨の強い日は橋の上で傘が飛ばされ、ずぶ濡れになったそうです。ここで”堤北にも学校を”との願いが高まり、地域の方々が役場に掛け合い、土地を探し、開校させてくれたのです。幾多の困難にもめげず、ようやく大正十四年に教室4、児童数165名で千住町立千寿第五尋常小学校として開校になりました。」(平成17年、創立80周年記念誌、小島校長挨拶「地域の誇りである学校を引き継いで」より)

地域の方々の子供たちへの思いが千五をつくり、統廃合の危機に対しても、地域の方々の反対が千五を守る大きな力となっています。
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地域と学校と保護者で長い時間をかけてつくりあげてきた私達の千五。一人ひとりの子供を、先生方、地域の皆さん、そして保護者が一体となって暖かく見守りながら、育ててきました。これだけの時間をかけて関係者の熱意を積み重ねてつくりあげた環境は、もう二度と同じものはつくれません。未来の子供たちのために必ず千五を守りましょう。そして、地域コミュニティーの要、地域の防災拠点の千五を必ず守りましょう。

2011年12月11日日曜日

千五守ろうNews_No.40

先週、八千代、高砂餅つきが開催されました。本日、四丁目餅つきが開催されました。町会にご了解いただき、署名活動をさせていただきました。多くの地域の方に対して、統合計画が持ち上がり、これに反対していること、現在の状況を伝えることが出来ました。町会の皆様、どうもありがとうございました。

さて、本日、2年生保護者のお母さんから、大正13年の千五開校請願記念(大正14年の開校前の記念写真)と、昭和31年の千五の画像コピーをいただきました。ブログに掲載したので是非ご覧ください。

【お願い】 
今回学校存続の運動をしていますが、これを機に、千五が出来た経緯をあらためて皆で共有したいと考えております。「千五地区にはもともと小学校が無く、荒川を渡って千住地区の学校まで通っていたが、近くで学ばせたいと考えた志村文蔵さんが土地を提供し、学校が設立された。」という話を伝え聞いております。これについて80周年記念行事のアルバム?の中に、詳しく書いた部分があると聞きました。どなたか、お持ちの方おられましたら、コピー等の提供をお願いします。

(ちなみに、本日四丁目餅つきで署名をお願いしていたところ、志村文蔵さんのお孫さん(現在葛飾在住)にお会いすることが出来ました。)




1 件のコメント:

  1. 先人が地元の為に作った学校だったのですね。
    (教育委員会からあてがわれた訳ではない)
    保護者だけでなく地元町会も含めて全力で護らない理由が見当たりません。

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